2015年4月号
エムエスツデー 2015年4月号

(株)エム・システム技研 代表取締役会長 宮道 繁
バブル経済が崩壊して以来の円高に伴って続いていたデフレ不況から、安倍政権が誕生したことにより脱出できるのではないかと期待していました。白川日銀総裁から黒田日銀総裁に替わって、異次元の金融緩和を打ち出したことでたちまち待望の円安が進み、底に張りついた感のあった株価も大幅に値上がりして、万事うまく行ったように見えました。でも大手家電メーカーに見るように、実感からすると未だ経済の回復は見えて来ていないのが実状でしょう。
第三次安倍内閣が誕生して、第三の矢で実体経済を浮揚させようとしていますが、国民の高齢化などが障害になっていると評する人が多いように感じます。日本の大企業も懸命に再生努力をしていると思われるのですが、力のある日本の若者たちが知恵と技術を生かして多くの独立企業を立ち上げ、起業ラッシュを演じることで、日本のGDPを押し上げてもらいたいものだと思います。
ところで、エム・システム技研は今を遡る43年前に創業し、以来一度も赤字決算をすることなく順調に成長してくることができ、日本のGDPの向上に少しは貢献してきたのではないかと思います。今から振り返ってみますと、「今しかない」という絶好のタイミングで起業し、まさにラッキーの連続で、今日までやってこれたと思います。昭和33年(1958年)に、私は当時指折りの工業計器メーカーであった北辰電機に入社し、工業計器人生がスタートしました。1960年頃はトランジスタが普及し始めた頃で、ほとんどは温度に弱いゲルマニュウムトランジスタでした。ようやくソニーがシリコントランジスタの商品化に成功したのも、この頃だったと思います。北辰電機の技術部門は、いち早く機器間を繋ぐ電気信号に直流の電流信号2〜10mA DCを用いた「Eライン」という名称の全電子式工業計器シリーズの開発に成功し、その発売に漕ぎつけたのはまさに画期的な出来事だったと思います。
それまでの電気信号といえば、熱電対のmVであったり、0〜10mV DCの電圧信号であったため、信号エネルギーが小さい分ノイズに弱く、長距離伝送には適していませんでした。電流信号の凄いところは、5kmや10kmをケーブルで引きまわしても、伝送信号にノイズによる誤差が生じないところです。要は、電流信号にはノイズ電圧を無視できるほどのパワーがありました。
工業計器メーカー各社は、当然自社の技術陣が主張するレンジの電流信号を用いた一連の計装機器シリーズの開発競争を演じていて、市場には各社毎に異なったレンジの電流信号1〜5mA DC、2〜10mA DC、4〜20mA DC、さらには10〜50mA DCを自社特有の計装用信号とした製品群を市場に送り出していました。それは、ちょうど私が入社して2〜3年経過した頃で、当時の工業計器業界は活気に満ちていました。毎年、東京・晴海の国際見本市会場で開催される「国際計測工業展」では、出展工業計器メーカーのブースには新製品が所狭しと並べられ、参観者が押し寄せて熱気が溢れていました。それから約10年の間は、工業計器メーカー各社は自社の主張するレンジの計装信号を日本の標準にしようと、激しいシェア争いを繰り広げていました。市場そのものが活気に満ち、成長をし続けていましたので、工業計器メーカー各社は例外なく拡大発展を果たしていました。
アメリカにおいては、計装用電気信号に関して、1973年にISA(Instrument Society of America:1945年設立)が4〜20mA DCに統一することを決めていましたが、日本においては、(社)日本電気計測器工業会が4〜20mA DCを統一信号に決めたのは、それから13年後の1986年であり、エム・システム技研の急成長に大きな影響を与えました。ちなみに、これに関するIEC規格(IEC381-1)は、1971年に発行されています。
ところで、1972年に起業したばかりのエム・システム技研は、乱立している各社の計装信号を相互に変換するための信号変換器「エム・ユニット®」の発売に漕ぎつけました。エム・システム技研は、どの工業計器メーカーも手掛けない、今でいえばオープンプロトコル変換器のメーカーを目指して起業したわけです。
モットーとして考えたのが、「どの工業計器メーカーのどの機器にも簡単・正確に接続できる便利な汎用の変換器を作るメーカーになる」ということでした。この考えは今でもエム・システム技研の基本的理念となっています。このモットーを維持するには、当時の超零細企業であるエム・システム技研にとっては、どの大手工業計器メーカーにも偏らない「独立独歩」という経営方針を堅持する必要がありました。
信号変換器「エム・ユニット®」の設計に当たり、工業計器メーカー各社が自社の製品シリーズの中に用意している信号変換器に対して特徴を打ち出す必要から、すでにその頃には安価に入手できるようになっていた「オペアンプ」と呼ばれるアナログICを使用することで、当時では珍しい小形プラグイン式の、取扱い容易でコンパクトなデザインの製品にすることができました。「電源を入れたまま着脱が自在にできる」をアピールポイントにしました。この信号変換器は徐々に市場に認知され、その後出荷台数が毎年毎年指数関数的に伸びてゆきました。
エム・システム技研は、1981年には「国際計測工業展」に初出展するところまで漕ぎつけました。その頃には、変換機能の種類を拡大して、計装に必要な各種の変換機能を手当たり次第に製品化していました。
たとえば、電空/空電変換器や、電電ポジショナと呼ばれていた電流信号で電動弁の開閉をコントロールするもの、そしてCPUを内蔵したリニアライザ変換器等々です。極め付きは、入力信号が電流信号で出力信号がポテンショメータというものまで小形のサーボ機構を組み込んで作りました。どうやらこれは、数多くのユーザーにポテンショメータを手でまわすことで回転数の変わるモータとか、開度が変えられる電動バルブなどを、フィードバック制御のループに組み入れる目的に使っていただいているようでした。
このようにしてエム・システム技研の製品機種は瞬く間に拡がり、売上げ金額も顕著に増加して、エム・システム技研の営業活動は順風満帆に見えました。ちょうどその頃、この業界には異変が起きていました。それは、気がつくと30社以上の同業者が、「エム・ユニット®」変換器シリーズにそっくりな変換器を売り出していました。まさに激戦の時代の始まりです。
エム・システム技研では、多品種・少量生産・短納期・高品質を維持するために、生産現場では変換器の一個造りの生産体制に磨きをかけて、約束納期を100%守る意気込みで努力して、お客様の信用確保に邁進してくれていました。
それから10年、バブル経済が崩壊するまで成長が続きました。その後は水平飛行ですが、信号変換器、は今でもエム・システム技研のミルキーカウ(利益の源泉)の地位を占めています。
工業計器の世界にも通信の時代がやってきました。インターネットはもとより、FA(ファクトリーオートメーション)市場の急成長でPLCの市場が急拡大して、PLC通信用の各種のネットワークが存在をアピールしています。
エム・システム技研では、この各種通信ネットワークに多数の計測信号を乗せる機能をもった、リモートI/Oの世界を切り開いてきました。リモートI/Oの需要はこの10年間で2倍以上の成長を遂げており、将来が期待されています。
PA(プロセスオートメーション)の世界でも、もちろんこのリモートI/Oの需要が拡大しています。そしてロボットマシンをコントロールするFAの世界でも、さらにはBA(ビルオートメーション)の世界でも、このリモートI/Oが重要な役割を演じています。やはり時代が変わっても、オートメーションの世界では計測信号はアナログであり、アナログ信号とデジタル通信を結ぶリモートI/Oの市場は引続き大きく成長するものと思われます。
ここでもエム・システム技研の基本姿勢である「どのメーカーのどの製品にもスムーズに組合せ使用できる製品を作る」を達成するために、お客様の必要とするオープンネットワークならどれにでも繋がるリモートI/Oを作ることを実行しています。
読者の皆様には、世の中の変化に対応し続けるエム・システム技研にご注目いただきますよう、よろしくお願い申しあげます。
年 号 | 工業計器 | 社 会 |
---|---|---|
1915年 (大正4年) | 横河電機が創業 | |
1919年 (大正8年) | 北辰電機が創業 | |
1934年 (昭和9年) | BROWN社が空気式調節計を発売 | 筆者誕生 |
1941年 (昭和16年) | 山武計器(株)設立 | 太平洋戦争勃発 |
1945年 (昭和20年) | 米国でISA(Instrument Society of America)設立 | 太平洋戦争終結 |
1948年 (昭和23年) | FOXBORO社が空気圧式差圧伝送器d/pセルを発売 | |
1953年 (昭和28年) | 山武計器がハネウエルと合併。ハネウエル社の空調機器を輸入販売開始 | |
1955年 (昭和30年) | 横河電機がFOXBORO社と技術提携 | |
1958年 (昭和33年) | 北辰電機がFisher&Porter社と技術提携 | 東京タワー竣工 筆者北辰電機入社 |
1959年 (昭和34年) | 日本国内で空気圧信号を0.2〜1.0kg/cm2、供給圧を1.40kg/cm2に統一 北辰電機が電磁流量計を発売 | メートル法が施行 |
1962年 (昭和37年) | 北辰電機、全電子式計装システムEライン(2〜10mA DC)発売 横河電機、全電子式計装システムEBS(10〜50mA DC)発売 山武ハネウエル、カレントロニック(4〜20mA DC)発売 | |
1963年 (昭和38年) | 山武ハネウエル、全電子式縦型指示調節計VSI(4〜20mA DC)発売 | |
1964年 (昭和39年) | IBMがSystem/360を発売。プロセス制御用にはIBM1800を発売 | 東海道新幹線開通 東京オリンピック |
1965年 (昭和40年) | ディジタルイクイップメント社が、量産型ミニコンピュータ PDP-8を発売 | |
1968年 (昭和43年) | 国内初の超高層ビルである霞ヶ関ビルが竣工 | |
1969年 (昭和44年) | 横河電機、渦流量計を発売 | |
1972年 (昭和47年) | (株)エム・システム技研設立 | 筆者独立 |
1973年 (昭和48年) | ISAで計装用信号を4〜20mA DCに統一 エム・システム技研、電子式計装機器専用避雷器「エム・レスタ®」発売 エム・システム技研、計装用プラグイン形信号変換器「エム・ユニット®」発売 | 第一次石油ショック |
1975年 (昭和50年) | 工業計器メーカー各社がそろってDCSを発売(CEMTUM、HOC、TDCS、TOSDIC・・・etc) 山武ハネウエル、矩形波励磁方式の電磁流量計を発売 | |
1978年 (昭和53年) | 第二次石油ショック | |
1981年 (昭和56年) | IBMがMS-DOSパーソナルコンピュータを発売 | |
1982年 (昭和57年) | NECがPC-9801を発売 | |
1983年 (昭和58年) | 横河電機と北辰電機が合併 | |
1985年 (昭和60年) | プラザ合意 | |
1986年 (昭和61年) | 国内において、計装用電気信号を4〜20mA DCに統一 JIS B0155「工業プロセス計測制御用語」制定。同一内容の国際規格であるIEC 902が1987年に発行されたが、1999年にwithdrawされている。 | |
1989年 (平成元年) | 昭和64年1月、年号が「平成」に | |
1991年 (平成3年) | エム・システム技研の本社ビル竣工 | ソ連崩壊、東京都第一庁舎竣工 |
1999年 (平成11年) | JEMIMAがFieldbus FoundationをJEMIMAフィールドバス規格とする。 | |
2002年 (平成14年) | 山武ハネウエルがハネウエル社との合併を解消し、(株)山武となる。 | |
2006年 (平成18年) | RoHS指令施行 | |
2008年 (平成20年) | 山武が「azbil」に社名変更 |
(2015年4月)