1999年8号

エム・システム技研を材料にした

MBA授業の復習

第7回 ハイテク向き経済学

エム・システム技研顧問/米国・MKKインターナショナル社長 風早 正宏

 ミクロ経済学は、一般消費者や企業の行動を考察して、市場経済の機能を解明しようとする経済学の一部門です。100年以上の歴史があり、現在の教科書注1)はもっぱらこの伝統的な理論を説明しています。しかし、従来のミクロ経済学はハイテクの製品、企業、市場の解明には不向きです。1980年来、W. Brian Arthurが先導してハイテク向き新理論注2)、注3)、注4)を展開しました。わたしはその名前を「正帰還の経済学」と翻訳しています。正帰還の経済学に対応して従来の理論を名付けると「負帰還の経済学」です。
 今回と次回のエッセイで、負帰還の経済学を復習したあと、ハイテクの製品、企業、市場を解明するための正帰還の経済学を紹介します。Arthurらの論文と著書をもっぱら資料にします。工業用計測制御業界への適用は私見です。本文では正帰還の経済学が適用できる分野を「正帰還の経済」、あるいは「正帰還経済」と呼びます。
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 併 存 負帰還の経済と正帰還の経済は、経済全体にも各会社内にも併存しています。
 最近コモディティ(commodity)という語が使われます。コモディティとは、同質で買手が価格だけで選択するような商品を指し、米、麦、トウモロコシなどの農産物、金属、原料化学製品など一次製品を含みます。第二次大戦前まではこれらの産業が主でしたから負帰還の経済学が主流でした。
 これに対して、ハイテク(hi-tech)といわれる高度知識、高度技術を基盤とする製品、会社があります。パソコン(PC)、マイクロプロセッサ(μP)使用製品、エレクトロニクス、コンピュータ プログラム、医薬品、航空機、原子炉などが対象です。ハイテクは正帰還の経済です。
 コモディティとハイテク製品の両方を作っている会社は多いです。ハイテク製品の企業として発足した会社も、製品が成熟期に入るとコモディティ化(commoditize)します。タイム誌1999年4月5日号は、ハイテク商品の粋と思われているPCでさえデスクトップ型は成熟してコモディティ化していると言っています。したがって、両経済は併存しています。しかし、経営方法は両者で違うべきです。
 負帰還の経済は収穫逓減(decreasing return)の法則に則っています。例で説明します。鉄鉱石や銅鉱石の生産が、成長時にはスケールの拡大、職務の専門化などで生産コストは下がります。しかし、より多く生産しようとすると、需要地から離れた所に鉱山を作り坑道を深く掘らねばならなくなり、コストが上ります。これを続けて生産を上げようとすると不利な条件が限界点に達します。この点以上に拡大しようとすると、経済の入力である資材、労力、資金を投入しても、コストが上り、出力である見返り(marginal return、限界収穫)が下がり始めます。これは出力から入力に負帰還がかかって起きる収穫逓減です。コモディティでは、一般にこのような現象が観察されます。
 業界内の各社はコストの上昇と利益率の減少がこの限界になるまで生産を拡張しようとします。市場はこれら多数の会社が参画していて、供給と需要から経済学的に予測されるいわゆる市場価格が形成されます。各社の製品価額は市場価格かその近くに収れんします。
 市場価格で利益が出せるように生産コストを低減できなかった会社は世界市場から撤退せざるを得ません。日本で炭坑が閉鎖になりました。最近原油価格が下がって、アメリカの油井が次々と閉じられているのはこの例です。
 コモディティ生産は、知識、技術よりも自然資源あるいは材料により多く依存しています。これは、米、麦などの農産物、金属、原料化学製品など一次製品に見られるとおりです。
 市場価格で商売をしていては利益率が低いので、生産者はコモディティにブランドの強調あるいは製品の特異化(差別化)をして価格を高めたり売上個数を増やしたりしようとします。米で、こしひかりのように味で特異化をし、ブランドを宣伝しているのが一例です。TVでスピーカを2個、3個に増やしたりするのは、特異化の努力の現れです。これらの生産者も会社も、そのブランドが好きな顧客の数、地域の需要、原材料の不足など、何らかの理由で上述に似た限界に行き当たります。
 工業用計測制御産業は成熟しているので製品にコモディティが多いです。熱電対、RTD、可動コイル指示計、直視型(ガラス管)面積式流量計、差圧変換器を含む圧力、温度、液位などの変換器、圧力スイッチなどが範疇に入ります。電磁流量計も、近年の2線式設計を特異化の一つとすると、同様に考えられます。差圧変換器で、差圧の外に静圧も計るようにしたのも特異化でした。(ただし、現在ではどの会社も真似たので特異化ではなくなっています)。DCSがコモディティ化しているかどうかは以下の説明を読んで判断してください。
 正帰還の経済は収穫逓増(increasing return)の法則に則っています。正帰還の経済をPCのオペレーティングシステム(OS)を例に説明します。
 1980年初頭に、OSとしてCP/M、マイクロソフト社のDOS、アップル社のMac OSがありました。1979年までにCP/Mは広く知られていました。Mac OSは使い易さと技術的優位を持っていました。DOSの拙劣さはコンピュータ専門家の嘲笑の的でしたが、マイクロソフト社がIBMと手を結んで世に出ました。IBMは、最初CP/Mを使おうとして断られてDOSを使ったといわています。
 IBM PCとDOS(PC/DOS)の組合せを見て、ロータスがDOS上でスプレッド シート(spread sheet)をプログラムし、ほかの会社がWordPerfectを始めとするワープロを作るなど多数のアプリケーション プログラム(アポ)が開発発売されました。IBMがPCの仕様を公開していわゆるPCクローンが多数出現しました。これでユーザーがますますPC/DOSとそのアポを買い、DOSが増え、アポがさらに増えるといった拡大的循環が起こりました。反対に、CP/Mには買い控えが起こり、アポも増えずちょう落していきました。MacOSはDOSの占拠率よりはるかに低いながら12、3%の市場を確保しました。
 多少古い例ですが、VTRではビクター、ナショナル、東芝などのVHS方式とソニーのBetaMax方式の競争がありました。BetaMaxの画像の方が優れていましたが、何かの理由で消費者がVHSに少し傾くと、テープがVHSでより多く作られました。テープが多い方のVHSがますます売れました。ソニーは売上が下がったBetaMaxの販売を打切りました。
 このように、先をとった製品と企業は、加速的に隆盛して収穫逓増をします。それに引換え、一度遅れをとった製品と企業は、ますますちょう落します。これは製品、企業の出力から入力へ正帰還が掛かる場合です。
 工業用計測制御業界では、1970年代終りに数社がほとんど同時に分散制御コンピュータシステム(DCS)を開発しました。この中ハネウエル社のモデルTDCは、エクソン社が当時使われていたパネル盤計装からDCSに切替える方針を出し、これを採用した時から急成長をして、大きな市場占拠率を確立しました。これでTDCの製造コストは下がりました。TDCの技術的弱点は専門家の話題に上りますが、世界中で多く使われています。
 最も正帰還経済の顕著な例に、ローズマント社の差圧変換器の成功があります。
 以上要点を明瞭にするために、経済学とその応用を二極化して説明しました。実際には、中間的な製品、会社、市場があることを断っておきます。          ■

注1)一例: 岩田 規久男、“ゼミナール ミクロ経済学入門、”日本経済新聞社
注2)Arthur, W. Brian、“Positive Feedbacks in the Economy.”pp 92-99, Scientific American, February 1990.
注3)同、“Increasing Returns and the New World of Business,” pp 100-109, Harvard Business Review July-August 1996
注4) 同、“Increasing Return and Path Dependence in the Economy,” The University of Michigan Press.

◆ 著者からのおことわり ◆
今回のエッセイでは、エム・システム技研を材料にしてありません。
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